どこぞのドット打ちのWeb

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思い出
例えば海がある。
海といえば日本人の思い浮かぶ海は、青く深く、激しさを豊かにたくわえた水の塊だろう。

例えば街がある。
日本の街、といえば、のっぺりとした平面で形作られたビルなどの建物。それとコンクリートで舗装された道が複雑に入り組んだモノが街。そう言っていいのではないか。

例えば人が居る。
人、日本の中に限定してさえ人を一括りに形容はできない。あえて一括りにするなら信用できない隣人というのが適切かもしれない。

私の一夏の思い出の中のそれら。海、街、人は今言ったイメージとは全く違っていた。

当時私は大学5年生と自称して、夏に入っても特に勉学に熱が入るわけでもなく、それを見かねた父親から
「旅行だと思って海外でボランティアでもしてきたらどうだ」と、10万円と共に言い渡された。
手渡す父親の言葉に、これが最後のチャンスだぞ、という含みがあるように見えた私はそれに従う他なかった。
大学内の窓口で妙に馴れ馴れしい係員とぼんやりと話しながら、どうせなら海があるところがいいな、と思っているとそれが口に出ていた。係員はそれなら、とインドネシアの村に行くことを提示した。井戸掘りのボランティアらしい。肉体労働かぁ、と頭に暗雲がかかってきたが、私の性として人と相談して決めかかってることに口出しはできなかった。
「それでしたらね、すぐに手続きしないと間に合いませんので、どうしますか?」
「はぁ、いえ、お願いします」
帰りの私の頭の中は不安と期待で妙に昂っていたのを覚えている。

数週間後、私は船に乗っていた。
どうせ食べても吐いてしまうな、と思い何も口にしなかった。周りを見回すと学生らしい男女が多く、知らない者同士で盛んに話しているのを見て、ボランティアに来る人は人種が違うなと思った。
船はインドネシアに着いて、一度拓けた街にイカリを降ろした。そこから車で数時間ほど走ると目的地に着く。私は車に乗っている最中、特有の蒸し暑さをどうにかしたくて窓を開けたり閉めたりしていた。
海際をずっと走っているといつの間にか目的の村に着いていた。いつの間にか、というのはそれが村に見えなかったためだ。
家の屋根は建築技術の乏しさから元から低かったのだろうが、4割ほどが倒壊している。潮水による腐食らしかった。潮水は海から来て村の中を満遍なく覆い尽くしていた。
「こんなところに井戸を掘ってなんになるんですか?」と私はインストラクターに質問したが、ふふん、と私の世間知らずを諭すように鼻で笑うだけだった。

それから私はひたすらに土を掘った。なにか疑念が湧いても、ただ俺は土を掘りに来たんだ。と念じていた。二日目になると流石に身体にガタが来始め、頻繁に休憩をとっていた。
休憩をとっていて、ふと気がつくと現地の10歳ほどに見える少年がこちらを見ていた。私は疲れていたため、シッシッ、とジェスチャーで示したがアホのように突っ立っているだけだ。懐かれでもしたら厄介なので井戸掘りに戻った。
井戸掘りに身が入らなかった。土を掘る、と念じてもいつの間にか少年のことが頭の中心にあった。何故だろう、と考えてみると、そういえばあの少年はこの村の中でも特別みすぼらしい格好をしているな。と思ったところで腑に落ちた。おそらく親が居ないのだろう。
再び休憩に戻った。また少年が寄ってきた。今度は貝を3つ持ってきていた。ニコニコ笑いながらこちらへ差し出してくる。
私はかなりとまどった。まず受け取っていいのか、面倒なことは起こらないのか。という考えが起こり。次に人の善性は無下にできない、という私の不自然な道徳心が巻き起こった。
そうして無言で立ち竦んでいる間に、少年は貝の殻を石で割り剥き身にしていた。
私は結局子供相手にすら流されることしか出来ないのだな、と貝を食べながら感じていた。
そこからボランティアが終わるまで、休憩時間は私は少年と子供の遊びをしていた。殆ど私が遊びを教える側だった。といっても、言葉が交わせないため、その遊びはとても単純なモノが多かった。砂に絵を描いたり、にらめっこをして遊んだ。
そして私が日本に帰る時、私はその子に何も言わなかった。
帰りの車に乗りながら、あの村を覆う海のこと、もうすぐ失くなる村のこと、そしておそらくもっと先に死んでしまうだろうあの少年のことを想うと。やはり私はよくないことをしてしまったんだな、と痛切に感じた。