どこぞのドット打ちのWeb

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葬送のフリーレンにおける魔族は、哲学的ゾンビやクオリアの概念、現代のAI等を思い出させる。
彼らは”問題”に対して、本質的に”悩む”ことは無く、効果的な”答え”を出力し続ける。
その姿勢は人間にとってはとても魅力的に映ってしまう。
それでも作中で明確に悪として描かれている、という部分に今後の展開がとても気になる。
これは、フリーレンという作品がとても美しく感じてしまうが故の信頼や期待です。
自分はよく結果や答えを求めてしまう。そんな自分を変えてくれるんじゃないかと、そう期待してしまう。
何が言いたいかと言うとマハト好き、、